ゆらゆら日誌

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


や、通勤中にボーっとしてただけなんですけどね。
あと、長い上にまとまってません。



ことの発端は確かテレビのニュース。

「国民総生産ではなく、国民総幸福を重点にした国家」

みたいなものを放映していまして。
森林が国土の何%かを下回ってはいけないため、庭の木ひとつ切るのにも国の許可がいる。もちろん、環境を破壊するような産業は認めない。という国が世界にはあるんだって。
すごくすばらしいことだと思う。
自動車とかどんどん立ち入れるようにして、観光客増やせばもっと外貨が入るのに、わざわざ電気自動車でしか入れないようにシステム作ってるのはスイスだっけ?
日本でも上高地は自家用車立ち入り禁止だけれど、もっと自分たちに厳しい国はあるってことだね。

まぁともかく上記の国(スイスじゃないよ)は、生産量をあげることよりも、国民が幸せでいられるように、長期的な視野で見た場合森林保護をするべきだと考えたわけですね。うん、インディアンみたいだ(インディアンは何かを行うときは7代先の子孫のことを考えてするらしい。すばらしい。私はせめて孫の代までしか考えられない)

で、テレビでは実際に国民に、「あなたは今幸せですか?」って質問を問いかけて、インタビューしていたわけです。テレビなので、都合の悪い回答は放映していないかもしれないけれど、皆幸せって答えるんだよね。統計上も国民の8割は幸福を感じているらしいし(統計が信頼できればだけど)

その中で考えてしまったのはとあるお宅のおじいさん。
子供夫婦とさらに孫との大家族。少し前に炊飯器を手に入れて、お米を炊くのが楽になって、お水は近くから引いている。そんな環境。
そんなおじいさんの回答がこちら
「幸せですよ。だってすべてがここにあって、今の生活に満足している」(要約)


さぁ、満足できるか? 幸福だと思えるか?
私はできないと思う。
確かにテレビに映し出されたその国は、すごく魅力的な国だった。
そう、ちょっと疲れたら癒されに出かけたいなって思うくらい。

でも、暮らすには不便だなって思う。

なぜなら、もっと便利な環境で生活しているから。
きっと、もっといい環境を、と望んでしまうのではないかな、と思う。

もちろん、上記の国にはテレビもインターネットもある。
でも首都の交差点ですらいまだに警察官が手で交通整理をしていて、国にはひとつも信号機がないような、そんな状況。
それでもそれを不便と感じないのは、その状況で満足できているからだと思う。
満足できること、上を望まないことが=幸せに繋がるんじゃないか。

私たちは、生活の質を向上することが幸せだと思って、そうして色々な産業を作った。
電卓を作ったり、安価な自動車を作ったり、外国から伝わってきたものは、便利だったから、貪欲に自分たちの手でもっと使いやすいものに工夫して、そうして逆に世界に輸出できるまでに力を高めた。
だって、満足してないもの。生活に。
常に上を見ているから、もっともっといいものを、もっともっと満足できるようにしてきた。

でも上記の人たちは与えられたもので満足できて、そして幸せなんだよね。

私は勝ち組・負け組って言葉は好きではないのだけれど、その定義を使えば上記の国は明らかに「負け組」に該当するはずなのに、でも幸福を感じているのは彼らだと思う。
なぜなら欲がないから。
仏教でいえば「足るを知る」ってことなのかな?

私は足るを知らない。
普通の家庭に生まれて、美味しいものを食べて、そこそこの学歴で、ちゃんと正社員で会社いっていて、しかも会社でもそこそこ楽しくやっている上に割と休みや遅刻早退も融通がきいて、友達もいて恋人もいて趣味もある。
でも、本当にほしいものは手に入らない。
本当にやりたいこともやれていない。
だから幸せか?と訊かれたら首を縦にふれない。すごく欲深いと思う。

でもその欲深さが生きていくエネルギーな気もするんです。だってほしいものがあるときって、すごく楽しくてワクワクするじゃないですか、どうやって手に入れようって悩んで考えて、生きているって気じゃないですか。
あきらめて欲を捨てたら、じゃあ現在の状況で時が止まったように生きていくことに意味はあるのだろうか。



てわけで、色々10分くらいの間に考えていたら電車のドアのガラスに思い切り頭をぶつけて痛かったです。


つけたし
今の状況に満足している上記の国の人たちが使う便利な道具は、結局どこかの国が森林を切り崩して環境に優しくない産業をがんがんやって作ってきたものなんですよね。
現状に満足してる国で、満足できない2割の人たちはどうするんだろう。

ああ、人に言葉で話す前に文章にしてまとめたかったんだけど、やっぱり難しいね。


コメント
無欲という欲
ブータンのこの考え方は私も昔日記に書きましたけれどかなり考える意味はあると思います。

あなたもご指摘の通り、『足を知る』と保守的になります。変革を嫌います。まあ無欲になるんですから当たり前ですが。

本当に社会が成熟したらこっちになるような気がしますね。進取の意気ってのは、発展途上の代名詞。要するにまだ未熟であると言うことですから。

生物としては常に未熟である方がおそらく主としての力(生命力)は強いと言えます。ただ、種ではなく、個として考えたらどうでしょう?

未熟を許容すると争いが絶えません。強いヤツには対抗できなくなります。あまりに行きすぎた個人主義が私にとって恐怖をもたらすのは、根っこがここにあるように感じられるからです。

私は(年取ったからだと思いますが)、あなたとは逆に「植物のように生きる」ことに憧れますね。それはすなわち、それがムリであることに気づいているからでもありますが。

現状に感謝し、謙虚に暮らすというのは間違った価値観だとは思いません。ただ、これを強要されると反発するのが若者です。
で、「逆らってはいけない規律」の性格を持たせるために掟や戒律のレベルでこれをやったんですね、封建時代に。

近代社会はこれを脱却することで土台を築いてますんで…。弱者が満足できないことはシステムの根幹に関わる既定事項なんだと思います。
2008/10/11(土) 07:56:11 | URL | ぬば #-[ 編集]

>ぬば先生
コメントありがとうございます☆

まとまってない文章にもかかわらず、言いたいことを理解していただいたうえで要約していただいて、さらにもう一段上につっこんで頂けて恐縮です。
国名はあえて伏せておいただのですが、さすがに先生にはもろばれでしたかw

ことの発端は「こんなに恵まれた状況なのに幸福感を味わえない自分の至らなさ」からなので、私も現状で満足することを覚えれれば、精神的な弱さも、時折他人に対してひどく攻撃的になることも、鬱々とした感情も全てなくなるのではないか、と考えたからです。
そしてそれはとても難しいことなのも理解できています。

仏教にせよ何にせよ、宗教というものの根底はこの保守を幸福として受け止める為の教えだと感じました。
だから先生もおっしゃるように、歴史上封建時代に、国をまとめるためにも宗教が必要だったのではないでしょうか。

幸せって結局物質の豊かさではなく、精神的な満足感なんですよね。それを考えれば、現状に満足するということができれば、皆幸せになれます。でも現代社会にその考えはあてはまらない。
ただ、現在の日本は物質面でみればかなり飽和してしまっているので、精神的な渇望だけが残っていて、幸せを無駄に捨ててしまっているのではないかとも。
うーん、でも満足して幸せになってしまったら、経済的な部分はどんどん回らなくなって、ますます景気が悪くなりそうだ…。

どうすれば皆が幸せだと思えるのか。
日本の場合はどうすればいいんでしょうね。
考えるだけなら自由なので割とボーっと考えてますw
2008/10/11(土) 14:09:43 | URL | みか #-[ 編集]
コメントする
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
この記事のトラックバックURL
http://yurayura3298.blog7.fc2.com/tb.php/766-95a17ac6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。